上品な服装を選ぶ時等
よく上品な服装を選ぶ時に必要な心構えの前提として品位と自尊心が人にはあるはずだからという事が言われますが、これはどういう事でしょうか。自分を人に良く見せたいという事でしょうか。そうなると2つの事柄があります。1つは自分自身がどういう服装を着たいか。もう1つは周りの人がどういう服装を着てほしいか。という事です。つまり自分の気持ちがどのような服装を着たいと思っているか。そして他の人の気持ちがどのような服装を着てほしいと思っているか。という事です。
例えば良心の判断や常識やマナーや規範という物についてもこれはあります。自分の気持ちから決める物と社会的な見方から決められる物です。この2つは似ているようにも見えますが実はかなり違う物です。
自分の心の気持ちの感覚と他の人の心の気持ちの感覚だからです。それはやはり大きく違う物でしょう。その事を気付いてある面、自我という物、自分の考えという物、をよく意識する事は非常に重要です。
これは、人間にとって非常に重要な事です。いつまでも人に依存していられない。人任せにしてはいられない。いつかは自分で自立して一人立ちしなければならない。という事です。
例えば服装を選ぶ時は最初は他の人の見方をある程度聞いて従っていれば良いかもしれませんが、やはりいつかは自分の見方の良し悪しの判断基準を自分自身で一人前に立って持たなければいけないでしょう。そのようにしてどのような服装を着たら良いか。自分で決められるようにならなければいけないでしょう。
結局あらゆる物事の良し悪しの判断基準は基本的に自分で決定できるようにならなければいけない物でしょう。たとえそれらのかなりの部分が前に人から教えられた事柄であるとしても。
つまり学んだ事柄を自分がそれで良いと思う。自分でそのように見なす。という所まで至るプロセスが必要になってきます。自分で良いと思うからそのように理解して自分で望んで進んで行動するという事です。
人や社会に言われてそれだけでそのように行動するという事だけではおそらく限界が訪れます。行き詰まってやって行けなくなります。無理になって苦しくなってきます。そして自然消滅に至ります。
そうなる前に自分の気持ちを明確に確立して自分の考えで決定できるようにならなければなりません。勉強している間にそのように考えて行かなければいけません。そのような考え方の能力も身に付けて行かなければいけません。そういう物と言えます。
他の人や社会的見方だけに依存して従っているのはある面、楽なのですが、そういう事はできなくなってきます。ですからやはり絶対に自分で考えて見なして決める、という自分の考え方を確立させるというのはやはり非常に必要で重要な事柄であるとかなり強調して言えるでしょう。
そしてそのようにして様々な良い事柄や悪い事柄が発生して来ることはあり得るのですが、しかしおそらく自分が良い事を教えられて学んで身に付けていられればほとんどは良い結果になるはずであると言えると思います。
そして例えば服装等から人と励まし合い強め合い良い雰囲気になれれば良いという事等であるならば単純に人それぞれの見方考え方がある、そして自分の場合は今はこれこれのように思っているという自分の気持ちの意見を普通に言うのは全然良い事とも言えるでしょう。